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貴金属ディーリングにおいて世界でも第一人者のスタンダードバンク東京支店長池水雄一氏が、「池水雄一のゴールドディーリングのすべて2」で、金の基礎知識編として、先週に続き東京工業品取引所について解説しています。 – 本記事はBullionVaultが執筆しています。

東工取の特徴3:現物の受け渡しがなされる

これは東工取を特徴付ける重要なポイントと言えるでしょう。普通の先物市場はおそらく98%以上が反対売買によって差額決済となります。そもそも先物市場の働きは価格のヘッジにあり、実際の現物の調達や売却を目的にする市場ではありません。そのためたとえばComexにおいても、ほぼ100%に近いポジションはすべて反対売買により手仕舞われるか、次のアクティブマンスへとロールオーバーされるのが常です。

ところがこの点において東工取は非常に特殊といえるほど実際の現物の受け渡しなされる率が高いのです。最近でこそその数量は東工取の取引量の落ち込みとともに激減しましたが、活発だったころは結構大きな数量のキロバーが実際に受け渡しされたものです。私の記憶に残っているものでは、数トンの受け渡しはざらでした。大量の受け渡しが起きる場合は、ほぼ間違いなく業者間(特に大手商社間)の受け渡しが多数を占めました。

たとえば三井物産が渡し方で2000枚の金を用意して納会で渡す。その相手先は住友商事であったというようなことは枚挙に暇を問いません。私自身、10 トンを越えるキロバーを渡したことが何度かあります。これだけの数量の現物が実際にデリバリーされるような先物市場はほかにはおそらくないと思われます。 ひとつの理由として、キロバーという世界でもっとも流通している金の形態が供用品となったこと。特に東アジアにおける金現物のスタンダードはこの1キロバーであるので、もっとも流動性も高いという点が上げられます。ですから調達しようと思えば、10トンのキロバーを精錬会社に注文して用意するのは思うほど難しい話ではありませんでした。それぐらいの流動性はあるということですね。

私が渡した10トンの受け手はほぼ100%ほかの商社でした。個人投資家が10トンもの金を受けるというのは考えられません。最初のロングで入った個人投資家は、たいてい納会日前までに、反対売買をするか、ほかの限月にポジションを移すかします。結局売った本人が買い戻すか、もしくは個人の売り戻しをほ かの商社が買って実際に現引きに持ち込むか、になり、渡し手はもはやキロバーを用意している場合が多く、そのままデリバリーするほうが買い戻すよりも経済 的という判断から大量のデリバリーが商社間でなされるようになったのです。

現在はこのような大量の現物の受け渡しは見られなくなりましたが、それでも数100kgから1-2トンの金の受け渡しは毎回なされています。これを考えると、個人投資家としてはもし、キロバーの現物を今の相場のレベルで買いたいと思っていたら、そのまま現物を買うという方法以外に東工取の先物を一枚買う という方法があります。もうこの価格で買うと決めているのであれば、その後価格が下がったとしても証拠金を納めるだけです。そして一年後の納会を待って全額納めて現物を引き受けるということになります。もし納会までの間に相場が自分の買った価格よりも大きく上がったら、利食い売りを出すこともできます。もちろんその場合は金は手元にはきませんが、また下がったところで買い戻すということも可能でしょう。どうせ現物を買うなら、一年間遊ぶことができる東工取での現物引きという方法もおもしろいでしょう。

最後にこの東工取の現物のデリバリーに関して起こった事件を紹介しておきましょう。

2000年パラジウム事件

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東工取の現物デリバリーが絡んで大きな危機が訪れたことがありました。2000年に起こったパラジウム事件です。1992年に東工取に上場されたパラジ ウムは1996年にその人気が盛り上がり始めました。取引数量のチャートをみてもらえればわかりますが、東工取の当時の出来高が一日にして世界の年間生産量を超えるような量のパラジウムを取引していました。商社各社は500枚単位での注文を出し入れしていました。

そしてこの驚異的な「流動性」に目をつけたのがマクロ分析を得意としたヘッジファンドであり、それと連携した米投資銀行やアメリカのビッグ3の一角の自動車会社でした。当時のパラジウムは基本的に最大の生産国のロシアから長期契約で手当てをしていましたが、現物を引くことが可能なマーケットで大量のパラ ジウムが取引されているのがわかったのです。彼らは自動車会社に東工取でパラジウムを買って現引きすることを薦めました。そして自動車会社にとってもこれは新たなパラジウム調達先として非常に魅力のあるものだったのです。

当時のパラジウムの相場は100ドル以下。これが100ドルを超えることはめったにありませんでした。しかし96年ころからじわじわと相場が上昇し始め ました。140ドル当たりから東工取の個人投資家は値ごろ感からショートを膨らましていきました。そしてその対面で買っていたのが、米系のマクロファン ド、米系投資銀行、そして米自動車会社だったのです。自動車会社にいたっては、売り戻すつもりはまったくなくそもそも現物の手当てが目的での買いでした。 しかし売り手がパラジウムなど持っているはずのない日本の個人投資家です。結果は火を見るより明らかでした。

2000年に入り、個人投資家の損切りの買いがマーケットをどんどん上げていきましたが、買い手は売り戻すつもりはまったくなく、買戻したくとも買い戻せない状況になりパラジウムの価格はほんの短い間に100ドルから1000ドルまで急騰しました。もはや出口の見えない状況になったとき、東工取は強制解け合いという最終手段をとり、売り手と買い手に無理やり手仕舞いをさせました。これにより売り手だけでなく買い手も大きな損失を追うことになりました。 (ヘッジの片側だけを適当に決めた値段で無理やり手仕まわさせれたわけです)買い手にとってみれば、自分たちはなんらルールを破ったわけではないのに突然のルール変更で無理やりポジションをとじされられるということになったわけです。

これにより、東工取への信頼はまったくなくなりました。パラジウムのその後の取引高をみるとその様子がはっきりと示されています。もはや誰も取引する人がいなくなったといっても言いすぎではないでしょう。今回の突然のルール変更で痛手を負った投資銀行、ファンド、自動車会社はもうこれ以来二度と東工取を 取引しなくなったり、少なくとも数年は東工取に戻ってくることはありませんでした。この出来事は東工取が普通の先物市場というだけでなく、強く現物の受け渡しを意識しているといういわば現物市場としての側面が引き起こした事件でした。世界の現物の量をまったく無視した大量の取引がなされていた時点でこういった現物の流動性を考えるべきだったのでしょうね。

以上


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池水雄一 貴金属ディーリングの世界でも第一人者。上智大学を卒業後、住友商事、クレディ・スイス、三井物産、スタンダードバンクと貴金属ディーリングに一貫して従事し、現在はスタンダードバンク東京支店長。Oval Next Corp.サイトで市場分析ブルース(池水氏 のディーラー名)レポートも掲載。